ぽこあぽこ♪ -po co a po co-
2007年3月と2011年2月に誕生した約4歳差の2人の息子との日々を綴ります。
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はじめての救急車
2月8日 23:00頃

子供達と一緒に寝ていた私の体に ものすごい腹痛と 吐き気が襲ってきました。

布団に吐いてしまっては後片付けが大変と思った私は
急いで台所まで走って行き しゃがみ込みました。

まだ テレビを観てくつろいでいたパパは
私のその行動を不審に思い すぐに駆けつけてくれましたが
頭からさーっと血の気がひく感じのものすごい貧血の症状があらわれて 
気持ち悪くてどうしようもなく動けないでいると
ものすごく寒くなり 全身痙攣しはじめました。

そうこうする内に パパが救急車に連絡をしていて
『そこまでしなくても大丈夫だよ』と声を掛けたかったけど
なぜか言葉を発する事が出来ない状態でした。
声がでないというか。
力がでない状態。

救急隊員が駆けつけてくれて 担架で救急車の中へ運ばれ
血圧を測ったり 体温を測ったりしました。
その時は だいぶ意識もはっきりしてきて
ただちょっと立ち上がるのは無理な状態。

病院に運ばれたのが0時5分位。
病院の先生と喋る時には ぐったりしてるものの
わりときちんと 質問や状況を伝えられていました。
・・・と自分では思う。

先生には ひどい腹痛と吐き気がある事から
①ノロウィルス②虫垂炎③卵巣炎ではないかと診断されましたが
婦人科系は診る事が出来ないから 明日 婦人科で診てもらった方が良いと
薬をもらい 少し病院で休み タクシーでパパと家に帰ったのが1時頃。

子供達の事を面倒をみに来てくれた お義母さんにお礼を言い休みました。

翌日 らいとを産んだ病院に行き 内診や 血圧を測ったり 血液を採ったりしました。
上の血圧が80台だったのには驚き 具合が悪くなりました。

婦人科の先生には 鉄欠乏性貧血と言われました。
通常40~170までの数値がなくてはならないものが
17しかなく 先生に貧血の薬を出され
食事にも気を付けるよう言われました。

仕事が終わって すぐに子供たちを迎えに行き 家に帰って
『お腹が減った~』と騒ぐ子供たちに 
栄養を考えずに すぐに食べれる物しか作っていなかった事に反省しました。

これからは少しずつ栄養を考えながら 作っていこうと思います。


もうちょっと時間が経てば
何もなかった程 良くなると思っていたので
パパが救急車を呼んだ行動に驚きましたが
今はパパのその判断に感謝しています。
ありがとう。パパ。
毎日青汁飲んで元気になるよ。



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テーマ:ママのひとりごと。 - ジャンル:育児


舟盛りっ!!
パパがお仕事の取引先の方から 舟盛りを頂いたそうです。
実家へ持って行ったのですが おぉ~家に相応しくない~。
飲み屋さんか テレビ番組でしか見たことない位 大きい。
タコの卵ものっていて 初めて食べましたが かなり濃厚ですっ。

撮り方が悪く 迫力が感じられませんが 大きくて立派です。
舟盛り②

らいとも訳が分からない様子だが 一緒に♪
舟盛り①
らいとは ツマ(大根)を引き出して遊び 食べてました。

さて こんなに立派な物を頂いて 何をお返ししましょう(-_-メ)・・・。




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猛威をふるったインフル
1月30日(月)朝。
ゆ~との様子がおかしい。
午前2時より 午前5時より どんどんどんどん熱が上がっていく・・・。
病院に連れて行くと インフルエンザでした。
保育園に電話したら『インフルエンザになった子が土曜日来てたんですよ』と。
うぇ~ん!!
1回だけしか受けてないけど 予防接種受けたのにぃ。
私 仕事を休んで ゆ~ととらいとを家で診ることに。

1月31日(火)夜。
パパが だるい・・節々痛いと 家に帰ってきました。
らいとも なんだか熱っぽい・・・。
もしかして。

2月1日(水)午前中。
ゆ~とは義理母に面倒を診てもらい
私はパパとらいとを病院へ連れて行く。
2人ともインフルエンザ。

この頃には ゆ~とは普通に戻っていて2月3日から保育園へ。
パパとらいとの高熱は下がらず。
パパは4日から仕事をしました。
らいとの頬が真っ赤で 目が潤んで ぼぉ~としてる姿は
今思い出しても 可愛そうでどうしようもなかった。

昼間も寝る時も インフルエンザ菌をバンバン浴びていたのに
何にも体に異常をきたさなかった私・・・。
代われることなら代わってあげたかった。




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ぽこあぽこ♪ -po co a po co-
ずっと慣れ親しんだ『ぱぱ まま ゆ~と♪』。

らいとの記事をアップする度に 首をかしげながらアップしていたので
ブログ名を変えました。

ぽこあぽこ は 音楽で『少しずつ』という意味。
子供たちを始め 自分たちも 
少しずつ 成長していく様子を綴っていきたいと思います。




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大気中の放射線量
埼玉に避難中の現在。
ずっと埼玉は 放射線量が少ないと思っていて・・・思い込んでいて
外で元気に駆け回り 砂だって石だって雨に濡れても何てことなく
洗濯物もバンバン外に干して 窓も一日中ガンガン開け
気にもしなかったのですが ・・・ですが
アパートの近くにある学校や保育園の方が いわきより放射線量が多い事が判明。

大変な思いをして二重生活をし なんとか頑張りながらの一人での子育て生活。
なのに なのに どうして。
どうしたら いいんだろう。
途方にくれます。

どうしたら いいのか分かりません・・・。




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4月後半~ 一時帰宅
4月24日(日)~4月29日(金)まで いわきに一時帰宅しました。

放射能の数値は低くなってきているものの いわきの住民の様子を。
まず 晴れて気持ちの良い天気でも 外に洗濯物を干してる家庭が少なく
コインランドリーの乾燥機を利用している方が多かったです。
換気扇を回さず 窓も開けっ放しにしていない状態。
マスクをしている方も 多く見受けられました。
ゆ~とは 外に出て遊びたがり ず~っと外においてあるオモチャに触ると
大人達に『触ってダメ。手を洗いなさい』と言われ
我慢させてしまう事が多く かわいそうでした。 

休業していた職場が始まると同時に 避難していた家庭も
徐々にいわきに戻って来たらしいです。
やはり 仕事をしないと生活できないから。

 
29日に埼玉に戻り マスクをしていない解放感からなのか
外で胸を張って歩ける感じで いわきとは違う・・・と感じました。
外で 伸び伸びと遊ばせてあげられるのは 普通の事であると思うけど
その普通の事を我慢させなきゃいけないのは 子供がかわいそう。


5月2日(月)。
パパが いわきに帰りました。
やっぱり別れってさみしいね。
早く一緒に暮らしたい。

何度も言うけど 早く普通の暮らしにもどりたい。
それが一番の願い。。。



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ひとり育児。。。
避難して たった一人での育児になり かなり堪えてます。
今までは本当に仕事ばかりで 専業主婦になりた~い!!
なんてボヤいていたけど ひとり子育てって
かなりの忍耐と 体力と 大らかな精神状態が必要とされます。


自分のやりたい事や 家事が全く出来なくて
“あ~あれやらなきゃ。あ~こっちもやらなきゃだし、あっちもだぁ~・・・”
と多少焦りを感じている時に いつも大人しく
泣いても ふぇ~んと可愛らしい声でしか泣かない
らいとが何をしても泣きやまず ギャン泣き。

“あ~どうしよう”が“どうにかしてくれ~”になり
ゆ~とが『サッカーしよう!』とか『キックボクシングする?』とか
『あれやって』とか『これ取って来て』とか言ってくるもんだから
もうあっぷあっぷしてきてる時に ゆ~とに乱暴で生意気な口を叩かれると
自分もゆ~とにあたってしまい そんな自分に深く反省させられる日々です。
いけないとは分かっているのに どうにも出来ない。


少しでいいから ちょっとの間だけでも 誰かにバトンタッチしたいです。
今までの様に“実家で晩ご飯食べてから帰ろう♪”とか
“何時になったらパパが帰ってくるから それまでの辛抱・・・”
とか思えないのが 辛い。


けど単身赴任の方とか 今まで住んでいた地域を離れて暮らす人達って
みんなこうやって子育てしてるんだ。と思うと 自分も頑張らなきゃだし
自分だけじゃないんだって頑張ろうと思います。


あとちょっと
あとちょっと・・・。



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震災から 1ヶ月
震災から1ヶ月が経ちました。

あの大きな地震 津波 余震 そして原発による放射能漏れ事故 避難…。
どれも思い出すだけで 心が痛みます。


1ヶ月を迎えたその日 また大きな地震が起き その後も何度も地震が起きて
テレビの地震速報の文字が消えません。
恐怖がよみがえってきました。
一体いつになったら落ち着いた生活が送れるのか。


私達は 大家さんとの話し合いで 今借りてる戸建を4月いっぱいで退去しなくてはならなく
住居を提供してくれる市を探していましたが
同じ埼玉県に 3ヶ月間 家賃無料で アパートを借りられる事になりました。

パパはいわきで仕事をしているので しばらくは二重生活です。

いわきの環境が整い 一日も早く 自宅に戻れる事を祈るのみです。





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やっぱり 地元がいいよ
用事があり 4月5日から4月7日まで いわきに一旦戻りました。

5日は私の実家に泊まり 6日は私達の家へ泊まり 7日に 埼玉へ戻りました。

私の実家は地震より水がストップしており 7日の時点でまだ水が出てなく 不自由を感じました。
私の家は 特に大きな被害もなく水も出る様になり 一晩泊まったら
狭くてボロボロな家だけど、やっぱり居心地が良く“
(原発事故さえなければ)このまま 普通に暮らせるのにな…”と
悔しい気持ちでパパと話しをしていました。

早く家に帰って生活したい… それだけ。





避難生活
避難してきて数日後…。

未だ水道も通っていない家で屋内退避している 私の両親、兄2人の
食料が今まで同様に確保出来ないであろうという心配があって
不安だった私に 母親から『そちらはどう?落ち着いた?』と連絡がありました。
私は 食料から生活用品から 何不自由なく生活をさせてもらっていたので
余計に 母親に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
私の『避難しないの?』の問いに 母親は『もう年寄りだしいいのよ。
大丈夫。何とかなるから心配しないで』という答えが何とも切なく
『(私ばかり避難して)ごめんね…』と泣いてしまいました。
電話越しの母は『子供っていうのは 親の気持ちをすぐに察するんだから
親がそんな泣いてる様じゃダメよ』と言ってました。
いつまでも子供で 親に頼りっぱなしの私。
もっと強くならなきゃ!






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